最近、「世話をしなくていいペット」が売れているのだそうで、餌もいらない、散歩もいらない、もちろん病気にもならない。
それでも「癒やされる」と感じる人が増えているのだとか。
飼えない理由が増えている
ペットを飼いたい人が減ったわけではなくて、むしろ「本当は飼いたい」という声のほうが多い気がするのですが、現実の条件がそれを許さないことって多いですよね。
仕事の時間、住環境、金銭的な負担など、どれも小さな問題ではありません。
命を預かるには、生活が少し重すぎる。
そう感じる人が増えた結果、「飼わない」という選択が現実的になっていった。
癒やしだけを取り出した存在
AIペットは、その現実の隙間にぴったりはまり、責任を引き受けることなく、感情のやり取りだけを受け取れることができます。
鳴き声や仕草に反応して、まるで関係があるかのような感覚を得る。
そこには確かに「癒やし」がある。
ただ同時に、それがとても都合よく設計されていることにも気づく。
「世話をする」という行為の消失
これまでペットとの関係には、必ず「面倒」が含まれていた。
掃除をする、時間を割く、体調を気にする。
そうした積み重ねが、愛着の輪郭をつくっていた。
でも今、その部分がそっくり削ぎ落とされていて、残るのは、ただ「かわいい」と感じる時間だけ・・・。
それでも人は満足できるのか。あるいは、満足できてしまうのか。
一人暮らしと“ちょうどいい距離”
都市での一人暮らしは、自由であると同時に孤独でもあり、誰にも干渉されない代わりに、誰からも必要とされない時間が続く。
AIペットは、その空白をほんの少しだけ埋める。
でも、踏み込みすぎない。
世話をしなくていいということは、関係が壊れるリスクもほとんどないということでもある。
それは優しさなのか、それとも距離の固定なのか。
愛着はどこから生まれるのか
人が何かを「かわいい」と思うとき、そこには本能だけでなく、関係の履歴も含まれている気がする。
手間をかけた記憶や、小さなトラブルや、少し面倒だと思った瞬間さえも、あとから愛着に変わっていく。
もし最初からその凹凸がなかったら、愛着は同じ形になるのだろうか?
それとも、まったく別のものとして成立していくのか。
世話をしないで得られる癒やしは、確かに合理的で、やさしい形をしている。
ただ、そのやさしさが増えていくほどに、人が何かと関わるときの「重さ」は、少しずつ遠ざかっていくのかもしれない。
それでもいいのかどうかは、まだ誰もはっきりとは答えていない。
しかし、無責任の命を預かるようなことがなくなるのであれば、これはこれで新しい未来なのかも。
